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MEMORIES 1

2019/10/11 NOTEでの記事


私がブログを始めた理由は 考えを文字にすることで自分の事をもっと知りたいという理由で 今考えていることも、過去にさかのぼって書いておきたいことも とにかく山ほど色々あるので 何から書いていいかわからないけど なんとなく思いつくままに書こうと思います♪


今から20年以上前の話です。


一番最初のブログで書いたように、私は日本にいる頃 どこにも自分の居場所がないと本気で悩んでいました。 私が十代の頃は浜崎あゆみが神のように崇められている時代で 彼女もそんな事を歌詞にしていて 同世代の女子達はどうやら彼女に共感していた様子だったので そんな事を考えていたのは私だけではなかったのかもしれません。


中二病と呼ばれる十代の一時的な感傷だという解釈もあるとは思いますが 母の意向で、幼いころからスパルタ教育を受け 中学から6年間、都内にある、創立116年という私立の厳格な女子校に入れられた私は あらゆる興味や好奇心を押さえつけられ その閉鎖的な環境から生まれた私の怒りのエネルギーやストレスは 説明できないほど大きなものでした。 かといって良心的な家族を憎むこともできず 周りの同世代のように、髪を茶色くしてルーズソックスをはいたり アムロちゃんやあゆを信仰することもできなかった私の感情は 社会問題が下地となって、若者たちの不満や反抗などを掬い上げた 「パンク・ロック」という音楽の持つ 暴力的で独創的なエネルギーにぴったりとシンクロし 当時中学生だった私は、すっぱりと「お勉強」をやめ、たった一人でパンクにますます傾倒していきました。


パンクが生まれた環境と、豊かな国であるが故のストレスを抱えていた当時の私の環境はこんなにも違うのに 「自由でありたい」という初期衝動やエネルギーというものは レベルが一致すると融合するものなんだと今にして思います。

温故知新。 初めて聞いた種類の音楽に私は夢中になり テレビや雑誌で垂れ流されている流行り物への興味を一切失いました。 高校生になってからも オムニバスのCDから次々と知らないバンドを発見しては アルバイトをすることも許されていなかったので 唯一自分に甘かったおじいちゃんにおこづかいをせびり ディスクユニオンに行って中古のCDを買ったり ロンドン・パンクに憧れてガーゼ・シャツやモヘアのニットを着たりするようになりました。 初めてのピアスは、耳ではなく、セプタムだったのは、学校や親にバレないようにする為。 自室で片側にケシゴムを当てて、自分で一気に穴を開けました。 その後も、当時原宿にあった唯一のボディ・ピアス専門店に通いつめ 舌やおへそなど、普段の生活でバレにくい場所にピアスを開けては すがすがしい痛みと共に自己満足に浸っていました。


NYではクラブキッズ全盛期だった当時の影響もあってか その頃の週末の原宿は歩行者天国で 奇抜なスタイルをした若者が集まっては 友達を作ったり、自作のアクセサリーや洋服を売ったりしており そこで学校以外の新しい友達もたくさんできたのですが 自分の興味のあるジャンルに詳しいような子はあまりおらず 音楽の事を教えてくれる友達や年上の人間が周りに誰もいなかったため 私はそこでもすぐに違和感を覚えて新しい居場所を探しはじめました。 情報源は全て、ランダムな雑誌やレコード屋の出しているファンジンなどで集めていたので、なかなかおかしな開拓の道を辿っていたと思います。


当時、Hi Standardを始めとするメロコアブームなどの影響もあり 音楽雑誌では様々なタイプのインディーバンドが紹介されており 同時に日本のインディーバンドにも興味を持つようになりました。 そこから、当時とっても勢いのあったロリータ18号などをたくさん抱えていたBENTENレーベルを知り そのレーベルのオムニバス・アルバムのカバーを担当していたROCKIN' JELLY BEANさんの絵に魅せられ 彼がアートワークを手がけたガレージ系のバンドを見つけては聴いてみたり 同時期にEXPLOITEDやDISCHARGEを始めとするUKハードコア・パンクにどっぷりハマり(節操ないな~) 試験勉強もせず、教科書を読む代わりに、当時の貴重な情報源であった「DOLL」や「BURST」を毎月読み漁っていました。


結果私の学校での成績は地まで落ち 私をお嬢様に育て上げたかった母はストレス性の十円ハゲまでできてしまいましたが それでも私の情熱は止まらず 親呼び出しをしょっちゅう食らい、母に泣きつかれながらも 家族で飼い始めたダックスフンドにはEXPLOITEDのボーカルの名前をつけ 部屋で勉強をするふりをしながら 古着屋で買ってきた洋服に、穴も開いていないのにツギハギをしたりして毎日を過ごしていました。


そこから一気に、CRASS等に影響を受けて派生した さらにダークでヘビーなEXTREME NOISE TERRORやNAPALM DEATH、北欧ハードコアにハマり そこからさらに派生していった、クラスト・パンクという もはや知らない人が聞いたらノイズにしか聞こえないジャンルの音楽に辿り着いたのが高校2~3年生くらいの頃でした。


続く


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