MEMORIES 3
そんな日々が続き、私は大嫌いだった女子校をめでたく卒業し 6年間切れなかった長い髪も切り、ブリーチをして 希望の大学を目指すために浪人することを決めました。 美大受験というものは私が人生で初めて 自分の意志で選んだ挑戦でしたが あの頭が狂いそうになる様なデッサン漬けの毎日と 1位から最下位まで毎回自分の描いた絵に順位をつけられ 全員の目の前で自分の絵の至らない点について批評をされるという生活は 自分自身について初めて向き合うという貴重な経験でもありました。 そこでは私の通っていた高校のように どんなに奇抜な格好をしていても煩い事を言う人は誰もいませんでしたが それと同時に、外見を取り繕うのがいかにこの世界では無意味かという事も思い知りました。
必ず芸大に入るだろうと言われていた 技術面が圧倒的に優れた二人の生徒がおり そのうちの一人は石川県から出てきたおとなしい女の子で 彼女は地味でしたがとにかく説明のできない雰囲気と才能のある女の子で 私は彼女とは特に親しくないものの、彼女の事が大好きでした。 彼女の雰囲気も、滅多に人に心を開かないところも 彼女の描く絵も、彼女の作る塑像の粘土の質感まで 嫉妬すら超えて、いつも崇高なものを見せられているような 不思議な感情でした。
彼女は何も語らずとも 自分の浅はかさを素直に恥じさせてくれるというか そんな存在であり 私はいつか彼女の様な圧倒的な雰囲気を持ちたいと 髪の毛の色を抜き、目の粗いモヘアのニットを着ている自分を とても小さく、弱く感じました。 技術を身に着ける事の大切さも 講師達からではなく、彼女から教わったような気がします。 技術とは忍耐力であり、説得力であり、積み重ねであるので 年月が持つ重み、厚みというものが表現できる 大事な要素の一つだと私は思っています。 技術を身に着けると、表現したいものの幅が広がり 人はその崇高な技術にも感動するという事を まるで宗教画のような厳かな雰囲気の作品を作る彼女が教えてくれました。
その頃私は予備校が終わった時間に 予備校の近くのコンビニでアルバイトを始めました。 新宿のはずれにあったそのコンビニは 芸能人もちらほら来店したり どう見てもカタギではない職種の変わった人々も多く来る店だったので 人間観察には事欠かない面白いコンビニだったのですが そこで出会ったのが のちに私の人生を変えることになる とっても変わった可愛い国際夫婦でした。
続く