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MEMORIES 2

2019/10/12 NOTEでの記事


当時、高校1年生の頃から夏休みだけ通っていた美大受験の為の予備校で 今でも交流のある一つ下の友達と知り合い 彼女も私と似たような系統のサブカル趣味を持っていたので それがきっかけで毎週のように遊ぶようになりました。 何回か彼女ともライブハウスに出かけた事はあったと思いますが 常に世の中より一歩進んだオープンな価値観を追い求める彼女は その後別のカウンターカルチャーに傾向していった事もあり 私は「DOLL」の友達募集にいくつか手紙を書き、横浜に住んでいた年の近い男の子二人と友達になり 初めて西荻窪の小さなライブハウスにクラスト・パンクのライブを見に行きました。



ライブハウスの外には 私より10歳から20歳くらい上に見える 人を寄せ付けないような雰囲気の男の人達が何人かでたむろして タバコを吸ったり、ビールや缶チューハイを飲みながら談笑していて 覚えている限り女の人も一人もいなかったので 当時女子高生だった私は周りと目を合わさないようにして入り口で1500円を払い 暗い地下に続く階段を降りてライブハウスに入りました。 何か入ってはいけない場所に足を踏み入れてしまったような 閉ざされた空間特有の、閉鎖的で濃密な雰囲気、人、場所、匂い すべてが自分にとっては新しく それだけで圧倒された私はあまりライブに集中できず ライブの内容こそうろ覚えですが その時に感じた 何か一つ新しい自分になれたような、少しだけ大人になれたような気分は 今でもはっきりと覚えています。

その後ライブハウスには しょっちゅう足を運ぶようにはなりましたが もともと人に慣れるまでに時間がかかる性格だったので ライブハウスを中心に作られているシーンに所属している ほとんどの人達とは深く付き合うこともなく 通っていた美大予備校の進学コースが本格的に始まり そちらに忙しく通うようになり やっとの事で探し当てたこのシーンにも 身を置くことはありませんでした。 東京以外の土地から何かの目的を持って上京し 私と同じようにメインストリームに馴染めなかった若者が 居場所を求めて、入れ替わり立ち代わり多く出入りしているような 印象を受けました。


予備校でデッサンを描くのに疲れた日は 新宿や高円寺のレコード屋を巡ったり パンクの老舗ショップ、JIM'S INNに遊びに行ったり そのお店の隣にあった、また別のパンク・ショップ、M's Qに寄ったり 高円寺にあった伝説のパンクピザ屋、E-ZYに遊びに行くと 片目を失って海賊の様なアイパッチをしたオーナーのエイジさんは お金のない私に、いつも安くメニューにないものを作ってくれました。


その頃、JIM'S INNに短い間働いていた 常にボンテージ・ファッションに身を包んだ とてもセクシーなお姉さんがいて 彼女は自分で作った洋服をオンラインなどで販売したりしていました。 彼女はたまにハードコアのライブに現れるものの いつも一人で現れては 酔って彼女を口説く男の人達を上手にあやして交わしていて 女子校でも団体行動や女の子のグループが苦手で 休日は単独行動が多かった私は 彼女に何か強烈な自由さと魅力を感じていました。 「私あんまり友達いないの」と笑いながらさらっと言ってのけて 常に一人で強烈な存在感を放っていた彼女の存在は 深い付き合いすらなかったものの 無意識に私の中で未来の自分を作るデータの一つになっていたような気がします。


続く

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