私のベター・ハーフ

私の愛すべきパートナーは 私より9歳年下で ニューヨークで消防士をしています。


初めて出会った時 私はマンハッタンの古い窓のない部屋に住んでおり 年季の入ったレンガの壁に 私のロカビリー・アイドルで、STRAY CATSのベーシスト LEE ROCKERの若いころの写真を飾っていて 半年ほど会っていた男と別れたばかりだった私は LEE ROCKERの写真を眺めては悦に入り こんな男が現れたらいいのにと毎日思っていました。



その日は蒸し暑い夜だったので 近所の古いティキ・バー(ハワイアン風のバー)に 友達とフローズン・カクテルを飲みに出かけると その日はロカビリー・ナイトをやっており ダンスフロアで若いロカビリー・バンドが演奏をしていました。 彼らは同じように3人編成で、STRAY CATSの曲も何曲か演奏していて ウッドベースを弾いている男の子は LEE ROCKERみたいに小柄で 顔は似ていないけれど、演奏がとっても上手で ボーカルの子は 日本語の話せない、日本人とのハーフの男の子でした。



演奏が終わったので、私は友達とバーに移動して飲んでいると たまたま一人になった瞬間に ベースを弾いていた彼が話しかけてきました。 その後気をきかせた友達が帰った後も 彼としばらくおしゃべりしていると 彼はブルックリン出身の、私よりも9歳も年下で ファイア・デパートメントで働いてるんだ、と私に言いました。


ファイア・デパートメントと言っても 仕事が色々あり 彼はその時、救急隊員をやっていたのですが なぜか私に 「救急隊員をやっている」という言い方をせずに 「ファイア・デパートメントで働いている」と言っていました。


ファイア・デパートメント=消防士 のイメージしかなかった私は 彼が消防士なんだと思い込み 「へー、かっこいいね!」とだけ答え 私は7年近く続けた今の仕事(ファッション業界)を変えようかなと思って悩んでる、という話をしました。


しばらく話した後 来週遊ぼうね、という約束をしてその日は別れたのですが その約束も流れ 私は彼の事もすっかり忘れて、転職をすべく 仕事をこなしながらもポートフォリオを作ったり レジュメを作ったりして忙しく過ごし 季節も変わりすっかり冬になったころ ついに新しい就職先が決まり 長く働いた会社を辞める日がやってきました。


するとその日いきなり 何の前触れもなく 半年近く前に会ったその彼から連絡があり 突然遊びに誘われました。


私はこういう事にいちいち意味をつけて楽しむのが好きなので 神様からの転職祝いだ!と勝手に考え その誘いにのる事にしました。


すっかり顔も忘れていましたが 近所のバーで待ち合わせて久しぶりに会った彼は 映画「GREASE」から抜け出してきたような 革ジャン、Levi'sのジーンズにスリック・ヘアのリーゼントで 映画のように、たまにジーンズのポケットから櫛を出して髪をとかしていて 私は、ずいぶんカッコつけてるなぁと思い、可笑しくなりました。



その日も色んな話をし 彼が消防士でなく救急隊員であることも判明し 私は彼に、仕事を辞めたという話をし 彼は乾杯をしてくれました。


その日はもちろん初対面ではなかったけれど 私はお酒が回ったせいもあったのか なぜかこの9歳も年下のほぼ面識のない彼に 自分の事をいつもより饒舌にしゃべっているような気がしました。


その日から1週間に一回必ず彼から連絡が入るようになり 頻繁に二人で出かけるようになりましたが 私も新しい仕事を始めたばかりでそっちに夢中になっていたし 彼も何も言ってこなかったので 特に彼との関係を「友達」以上に深めようとも思っていませんでした。


それから半年以上たった夏の終わりに 日本でずっと一緒に暮らしていた私の祖父と祖母が 時をほぼ同じくして亡くなりました。 私は理由あって会社に借りたローンを返している最中だったので 両親は 「家族だけで小さな葬儀をするだけだから、あなたは気にせず、今は仕事を頑張りなさい。ニューヨークで、心の中でお葬式をしてあげなさい。」 と言ってくれました。


私はその少し前にも母方の祖父を亡くしており 短期間に3人の家族を亡くしたショックと いい年して、大切な家族が亡くなった時にまで母国に帰ることができない あまりにもふがいのない自分に 私がそれまで築いてきた自信やプライドは粉々になり 仕事以外では人と話すのが苦痛に感じるようになりました。 特に一緒に暮らしていた祖父に 私は一番可愛がってもらっていたので 罪悪感に打ちのめされて心と体を両方壊し 体調も非常に悪く毎日ふさぎ込むようになっていました。 取り乱して泣く私に 友達すらもどう接していいのかわからず そんな時にいつもそばで話を聞いてくれ 毎日私を心配して連絡をくれ続けたのが、彼でした。


"How do you feel?"


たったそれだけの単純な一文のメールを 返信しない日もあった私に 彼は根気よく送り続けてくれました。


祖父が亡くなる少し前に 落ち込む私に彼はこんな話をしていました。 彼の祖父も彼が幼いころ一緒に暮らしていて ニューヨークで30年、消防士をやっていたと そして 彼の名前は、その祖父から取った同じ名前で 彼は大好きな仕事をして幸せだった祖父を見て 自分も大人になったら消防士になると 小さいころから決めているから

ファイア・デパートメントに入ったんだと。


その時、彼はまだ救急隊員で 特に仕事に問題も不満もなく順調に昇給し、6年ほど経っていました。 ニューヨークの消防士になるには まず市の筆記試験を受け、高得点を取った後も そこから何年間も順番を待ち 運よく連絡が来た数パーセントの人のみが アカデミー(消防士になる訓練をする場所)に入ることができ そこからさらに数か月にわたる 心身ともに非常に過酷な訓練に耐えられた者だけが 卒業後、見習いとして消防署で働くことができ 決まった期間を終えてやっと正規の消防士になれるという とにかく大変なプロセスがあります。 ニューヨークの消防士は特に 911の様な恐ろしい事態の時も一丸になって人を助けるという 大変な使命があるので 本当に覚悟を持った者だけが入れるよう 簡単に消防士という職業にはなれない仕組みになっています。



彼が初めて市のテストを受けてからも すでに5年以上たっており 来年くらいに2回目のテストを受けようと思っている と彼は話していました。


私は新しい仕事場が、アートギャラリーを経営していたこともあり 祖父母を亡くす少し前から数年ぶりに絵を描き始めるようになり 亡くなってふさぎ込むようになってからは特に 絵を描くことで行き場のない感情をやり過ごしていました。 私の絵を一番初めに賞賛してくれたのは彼で 彼は私が一枚描く度に大喜びしてくれ 絵を描く事だけがふさぎがちの私の唯一の楽しみになりました。 美大を卒業してから何年も美術の世界から離れていたし SNSも4年ほど一切やっていなかったので 自己表現というよりは、セラピーの様な感覚で ただただ、自分の好きなものを一枚一枚描いていました。


私は、絶望の中にいたので ニューヨークに住んでいても何も先が見えないと 彼にこぼし そのたびに彼は I can see your future here. と何の根拠もなく私に言っていました。




それから約ニ年経ち、彼は消防士のアカデミーを 身体能力で300人中1位の成績を納めて卒業し その翌月に私は人生で初めての個展をニューヨークで開きました。


それからまた一年たって 私はニューヨークでは二度目となる絵の展示を開き その翌月、四年前にはまるでLEE ROCKERの代わりのように 突然私の前に現れたロカビリーの彼は ポマードで撫でつけていた髪も切り、自分の夢をひとつ叶えた 一人前の消防士になりました。




私達はそういった自然の成り行きで 気づいたらパートナーになっていたので 一部のカップルにとっては大切なアニバーサリーもありませんが 私は彼をまるで自分の鏡のように感じる事があります。 恋愛関係ではすぐにわがままになってしまう自分が 初めて変わろうと思えた相手も彼でした。


自分の彼や彼女の事を こんなに褒めるのは 日本人の私には少し恥ずかしい部分もありますが 最高のパートナーと呼べる相手を持てる事に対する感謝と 今の素直な気持ちを自分の母国語で綴っておきたいと思いました。


"Fire, fire"

Poster art (Drawing and graphic design), 2018 *Donated to a FDNY firehouse by the buyer


REIKO LAUPER

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