ブログ=退行セラピー?

2019/11/01 NOTEでの記事


ブログを始めてもうすぐ1か月。 目論見通り、文字を書くという作業は 自分の事が本当によくわかるし 仕事やお金とは関係なく 自分の気持ちを綴るのって 退行セラピーの様な感覚だ。


私は先日、ハロウィーンについての日記を書き それを読み返して 過去の体験に執着している自分を発見した。 ハロウィーンが嫌いになった理由を思い出して書くことによって 思いもよらず、何か気持ちが浄化されたのか 次の日には気分も変わり ハロウィーン当日には、私は普段着で毎年恒例のライブに出かけ 子供の様な気分に戻ってちゃっかり楽しんでくることができたので 一日経った今日 非常にスッキリとした気持ちで日記を書いている。


私はここ数か月、過去にあった色々な出来事で 特に自分にとってあまりいい思い出ではなかった出来事を反芻させ そこから生まれていた思い込みや執着を 一つ一つ「手放す」作業を意識してするようにしているのですが 執着を手放すという事は 結局、すべてを「許す」事なのかなと思う。


その作業はあまり気持ちのいいものではなく その時の気持ちがまざまざと蘇る為 時には 思い返すと涙が出てくる事もあったりするけど 未消化な過去の感情に対して何かしらの注目を与えてあげるだけで 驚くほど気分が落ち着いたりする。 自分が普段わざわざその作業としてテーマ視しないような非常に小さなことが、何気ないブログを書くことによって浮上し気づくきっかけになったりするので 書いたものを公開するにせよしないにせよ 気持ちを文字に起こすというのは大事な事なんだと改めて実感する。 こんなに意識していても 未だに手放せていない大きな執着がいくつかあり 今はそれと時間をかけて向き合っているところ。 その「瞬間」は突然やってくるものなので 焦らずゆっくりやっていこうと思っている。


私は、恥ずかしながら、この年にして初めて 自分軸で生きるという感覚を知った。 今までずっと、自分はかなり自由な方だし 個性の塊だと思っていたけど 実はずっと、少なからずも他人軸で生きていたことを気づいた時は 目から鱗が落ちたような気分だった。 私は情報や他者から離れ 一人の時間を多く持つことによって 始めて自分が外側から入ってくる情報にいかに左右されていたのかという事 また私はどうやらそれを普通より吸収しやすい性質である事を知り それを物質的に完全に遮断したことによって始めて 自分が自分という軸にゆっくりと戻っていく、今まで味わったことのないような不思議な感覚を味わった。 それと同時に、自分に入ってくる情報や自分と関わってきた他者も全て 「今」の自分を作る大切な一部であり そのすべての調和に気づいた時の感覚というものは 本当に「感覚」でしかないので、言葉にするのが本当に難しい。 頭では理解していた事だけど、それを感覚として理解する以前は 私はすでに「自分軸で生きている」と何十年も思い込んでいたので 誰かがこのような話をしていても 「私は自分というものがしっかりしているから、関係ない」と思っていたのが、今考えると恐ろしいし 人って本当に自分の事は見えていないんだなぁとつくづく思う。


11月になった。 今年もあと2か月だけど 今年はなんとなく楽しい冬が過ごせそう。 厳しい寒さに襲われるニューヨークで「冬」という季節を楽しむ事って なかなか難しいことだから今まであまり考えた事がなかったけど これは考察すべきテーマなんじゃないか? ここがクリアできたら、ニューヨークでの生活が ますます楽しくなりそう。

REIKO LAUPER

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